普通ってなにさ〜?
こんばんは。
ただいま深夜の0:50です。
WOWOWで、大好きなドラマ『ホームズアンドワトソン』のシーズン6が始まりました。
現代版シャーロックホームズだよ。
並外れた能力を持つ人が事件や問題を解決していくような海外ドラマが大好きで、古いけど、ボーンズとか、最近はインスティンクトとか、グッドドクターとか欠かさず観てました。
日本のテレビはEテレの16時から18時20分までのお子様向け番組しか見ないのだけれど(結構楽しんでる)、WOWOWはちょこちょこ観てます。
ちなみに現代版シャーロックホームズに出てくる助手のワトソンは女性のワトソン。
それを演じているのがルーシーリュー なんだけど、知的で、かっこよくて、優しくて、セクシーで大好きな女優さんです。
あんな人になりたいよ!
そんでね、今夜は夫が夜勤で居ないんです。
そんな時にシャーロックホームズみたら、そのままズルズルズルズルダラダラしちゃって、今!深夜!みたいなことによくなるんです。
それで今も深夜の更新。
横では子供たちが私の布団を占領して寝ているので、私は夫の布団を借りて寝るつもりです。
でも朝になったらいつものように、また両サイドに子供たちが移動してきてるんだろうな。(ふふふ)
さっき、テレビのEテレかな?NHKで、発達障害の人が『普通ってなんだ?』って歌ってる二、三分くらいのが流れてたんだけど、本当に普通ってなんだ?って私もよく思います。
私の兄弟側の甥っ子姪っ子は8人いるんですが、その半分が発達障害で療育経験者。
発達障害の原因はまだはっきりと解明されていないってきくけど、遺伝説もあるらしい。
その甥っ子達の母である姉達から、『リサも絶対にある』と言われている私。
たしかに私は、【リサワールドあるよね】って学生の時から友達に言われているし、ありえない失敗をいくつかしてきたけど、それが生活に支障でてるのかと言われたら微妙。
姉ともそれについても話すけど、結局発達障害かどうかのラインは、凸凹が生活に支障をきたすかどうかの違いらしい。
人間みーんな凸凹してるから、発達障害の特徴聞いたら、おそらく誰もが『あ、わたしにもある。もしかして私ってそうなのかも』なんて思うとおもうのだけど、じゃあそれによって生活に支障きたしてるか?って言われたら…私は多分違う。まぁ、自分が思うのと、姉達が客観的に見るのとではまた違うのだろうけど。
で、話は飛んだけど、結局、普通ってなんだよってこと。
『いや、普通は△△でしょ!』っていう人たくさんいるけど、普通ってなに?
今この日本で普通って思われてること、一歩外に出て海を越えたら異常ってこともたくさんある。
今の時代に普通ってことも、80年前では普通では無かっただろうし、もちろん80年後だってわからない。
私の家族の中では普通なことも、隣りの家の家族にとったら違和感だらけかもしれないし。
普通ってことだけでもそう思うけど、私は、
『絶対』おかしい とか
『絶対』違う とか
そういう『絶対』って言葉にも違和感感じる。
絶対ってなに?
こっちでは絶対的な悪とされてるものが、あちらでは絶対的な善とされていたりするんだよ。
『絶対』って言う前に、まずは、その人の、その国の背景や価値観、そういったものを見ていくと、色んな人やいろんなことを受け入れて、認めていけるようになるんじゃないのかなーって思います。
今日もまとまりのない文章でしたが、深夜に書いたものは、朝になって読むと、
【ギョッ】っとするよね。
今の私が明日の私を【ギョッ】っとさせているのを思い浮かべながらニタニタ笑って眠りにつきたいと思います。
クリスマスの飾り付けをしたよ
今日は少しだけ、クリスマスの飾り付けをしました。
本当は小さくても良いから立体的な木を置きたいのだけれど…まだまだ子供達が触るので(´-`)3年前にフェルトで作ったツリーを今年も飾ります。
子供達の手の届かない場所を選んで設置。
どのオーナメントをどこに飾るのかは、息子のスーさんに指示してもらいました。
クリスマスのオーナメントは毎年必ず一つは増やすようにしています。
ちなみにスノーマンのオーナメントは、2歳のスーさんが、ニトリに行った時に絶対に離さなくて買ったオーナメント。
シロクマのオーナメントは去年のもので、私が選んで買って帰ったら、夫のグーさんに『タワシみたいだね〜』とひと言いわれ、笑ったオーナメント。
それぞれに色んな思い出があって楽しいです。
さぁ、今年も可愛いオーナメントに出会えるかなー?
部屋の中の人形たちも、この時期は毎年赤いマフラーを巻いてあげてクリスマス気分アップ(^^)
クリスマスが好きなので、だいぶ気が早いけど、10月から車内はマイケルブーブレさんのクリスマスアルバムが流れています。
もう11月半ばなのに日中は暑すぎて、とてもじゃないけどクリスマスって雰囲気には程遠いんだけどね、いいんだよ、私が良ければ(笑)
岡山マラソンを応援してきたよ
おはようございます。
やっと!ちょっとゆっくりした時間を過ごせています。
後ろで娘のピーチャンはスースー寝ています。
先月から参加している、とある講座で、大きな課題が出されており、それを期日までに提出するため日々徹夜をしておりました。
今朝は2時に寝て、今朝は7時30分に起床(今朝、今朝っておかしいわ笑)
当然ですが、7時30分に起きてびっくり。
夫が遅出の日だったので、子供達の準備は夫に任せて、朝ごはんやらお弁当の準備に集中させてもらいました〜!
無事にみんな間に合って出発していきました。
日曜日は岡山マラソンがありました。
夫とスーさんが公園で遊んでいる間、私はぴーちゃんを抱っこして1時間以上ランナーを応援。
実は学生時代、私は陸上競技部に所属しており、マラソンに出ていた時期もあったので(あ、当然フルマラソンではないです笑)、応援の間はとても興奮した時間を過ごさせてもらいました。
エアサロ(エアーサロンパス)の匂いとか、ファイトー!頑張れー!の声援。
どれも懐かしくて心地よかった!
25キロ付近に私はいたのですが、ゲストランナーの小島よしおが、自分に向けられた声援に応えて「おパピー!おパピー!」と言いながら目の前を通り過ぎていき、(疲れているはずなのにさすが芸人だなあ)と感心しました。
そのほかには有森裕子さんも走っていました。
高校生の時に岡山国体があって、陸上競技の補助員として私は参加したことがあるのですが、その時に有森さんに一緒に写真を撮ってもらったことがありました。
すごく綺麗な人で、優しくて、好きです。
また来年も応援したいな。
ま、私が参加することは、この先一生ないでしょうが...笑
息子のスーさんは小さな監視役!
こんばんは。
今日はのんびりとした土曜日でした。
夕方、夫と散歩から帰ってきた息子のスーさん。
ご飯を作っている私の所へ来てひとこと。
「スーの靴はまっすぐだけど、お母さんの靴はちょ〜っと向こう向いてるから悪ーい!」
これ。
左がスーさんで右が私の靴。
わかります?本当にちょっとだけ右を向いてる。笑
よく見ている上に厳しい奴だなと、少し感心しました。笑
ちなみに右上に写っている虫かごにはクワガタが入っています。
8月に夫が同僚からもらってきました。
その同僚さん、夜勤明けで職場の裏山に行き、クワガタを12匹捕まえてきたらしいです。
我が家のクワガタくんはそのうちの1匹。
12匹って凄すぎるわ!
我が家のクワガタくんは、誰も可愛がらないので、スーさんに名前だけ付けさせて、私が世話をしています。
クワガタなんて興味なかったけど、いまはすっかり家族の一員で、動いてるのを見たら、まだ生きてるわって安心します。笑
では、明日は日曜日。
ぐっすり眠りまーす!
大丈夫。私は前進している!
私はおそらく多くの人に比べて、心に占める闇の部分が大きい。
その闇の部分にある思いはこんな感じ。
- 自分は駄目
- こんな自分は要らない
- 私がいなくても家族は成り立つ
- 私はこの世界にいらない
- 私がいるから家族が可哀想、不幸になる
- みんなに嫌われている。その理由は、「私が私」だから
- 寂しい
- 私はいつも独り(家族といても、自分とその他の家族との間に線が見える)
- 孤独(結婚しても子供ができても、私はいつも孤独)
- 虚しい
- 怖い(いつ別れ話を切り出されるのだろう)
- いつも皆に置いていかれる。皆がどんどん離れていく。誰も私のことを見ない(このイメージがずっと頭の中にある)
うん、暗い(笑)
暗すぎて、読んでいる人には重すぎると思う。
ここ最近ずーっと沈んだ気持ちで過ごしていたのだけれど、今日はけっこう、普通に過ごせた。
笑うこともできたし、色んな人と自ら進んで会話をすることもできた。
こんな風に普通に過ごせる日は、気分が落ちているときの感情を思い出すのが難しい。
だから普通に過ごせる日が数日続くと、(もう私は大丈夫だ)なんてことまで思っちゃう。
だから、ここに私の負の感情をメモしておく。
夫に言わせれば、『もう大丈夫』っていうのは多分生涯ないよって。徐々に感情の波を穏やかにしていって、それを否定することなく、それと上手く付き合っていくことが大事って。
無価値感が再び、特に強くなっていたこの数日間は、何をしても(私はまだまだ何にも出来てない)と思って動きまくっていた。
用事をどんなけこなしても、母として妻として家族として働きまくっても(まだまだやらなきゃ)って思ってた。
逆にいうと、どれだけ働いても自分で自分を認められない。
私はまだまだみんなのように出来ていないって思ってしまう。
今冷静に客観視してみたら、(いったいみんなって誰だよ。誰と比べてんだよ)って思うんだけどね。
この私があの私に言っても、多分聞き入れられないんだと思う。
でも以前の私は、こうやって客観視することも出来なかった。
ずっと闇の中にいて、自分を否定し続けていて、いつも(消えたい。この世界から消えたい)って思っていた。
こんなに苦しいのに、なんで生きなきゃいけないの?って。
一番酷い時期は、もう数年前になるけど、息をしているだけで、それだけで拷問を受けているような気分だった。生かされていることが、死ねないことが苦しかった。
なんで必要な人がどんどん死んでいくのに、こんな要らない私が生かされてるのって思ってた。
だからこうやって、自分を否定しない日がくることなんて想像もしていなかった。
自分を客観視できるって、すごく良い。
私、前進してるよって自分に言い聞かせる日々。いいね。
10年前の私は、こうやって自分の心が弱いことを、単に甘えだと思って否定してたし、当然認めたくないし、逆にそれに甘えて言い訳に使う時期もあった。
でも結婚してから夫を想い、この人をこれ以上傷つけたくない!って自分と向き合う努力を始めて、子供が生まれてからは、家族のために乗り越えたい!と思ってさらに努力をするようになった。
自分と向き合うのって本当にしんどい。
毎月のカウンセリングだって、毎回、拒否反応で吐き気と戦う。
酷い時は夫に付き添ってもらって、頑張って休まずに行った。
私の状態が変わらなくても、努力してるのを家族に見てもらうことで、家族のことを想っているのを証明したかった。
この時の私はもう、心の弱さを言い訳にするってことは全くなくて、ただただ解決する方法を探して見つけては実行するってことだけをしていた。
カウンセラーさんにも、「リサさんからは、変わりたい!っていう思いがすっごく伝わってくるんです!だから、私も出来る限り一緒に頑張ります!」って言ってもらえるほどになってた。
そんなことを思い出しながら今ブログに私のことを書き残す。
昨日、息子のスーに謝ったんです。
「お母さんほんと駄目じゃな。ごめん。」って。
そしたらね、スーさんは、
「お母さんはだめじゃないよ。悪くないよ。」って言ってくれたんです。
ふぅ〜。こんなこと4歳の息子に言わせるなんて...ってまた自己嫌悪。
以前スーさんの前で「もうお母さん消えたい」っておもわずポツリと言ってしまったことがあって、その時のスーさんは、「お母さん消えたら嫌だ〜!」って突然大泣き。
それを見て思い出したんです。
そういえば自分の母親も、よく寝る時、私たち子供に「消えたい」って言ってたな、その度に私は、母親がいなくなるかもしれないという恐怖に襲われて、一生懸命起きていたけど、子供だからつい寝ちゃって、目が覚めたときに隣に母親がいなかった時には急いで家中、母がいないか探して、母の姿を見つけると本当に安心した。
あの恐怖を私も今スーに感じさせちゃったんだなと気付いたんです。
だから、その言葉は絶対に、子供達の前では口に出さないって決めてたんだけど...
「お母さんはだめだね」っていう言葉だって、スーさんを不安にさせるに決まってる。
だから、私は、母と同じことは繰り返さないって強く思いました。
またそんな気持ちになったらこのブログを見返さなきゃね。
暗い内容でごめんなさい。
でも今の私は闇の中じゃないよ。
だから書けたのです。
明日は、もっと前を向いて進むぞ。
大丈夫、私は前進している!
キャパオーバー。私のキャパってこんなに少ないの?
おはようございます。
近頃明らかにキャパオーバーな私です。
ちなみに、キャパってそもそも何?
って思ったのでネットで調べてみました。
以下ネットより引用
■キャパ(キャパシティ)の意味
キャパは、英単語のCapacity(キャパシティ)を略したカタカナ用語です。持つ能力で請け負える量、入り切る容量、受け入れることのできる数や量のことを表現するときに使われています。ビジネスシーンだけでなく、日常生活でもよく耳にすることがあるのではないでしょうか。少ないときには「キャパに余裕がある」、限度を超えているときには「キャパオーバー」という言い方がされています。
なるほど。
元々はキャパシチーなんだな。(キャパシチー 笑 いや、全然面白くないわ。)
現在わたしは、子供の幼稚園行事と、子供の幼稚園から帰宅後の友達と遊ぶのと、先月から新たに挑戦している事と、元々している事と、母親の仕事のお手伝いとで毎日、1週間が目まぐるしい速さ過ぎていくのですが、最近明らかにキャパオーバーしてるって思うのです。
ね、今日のブログ読んでても思いませんか?
文章とか漢字とかあってますん?って。
私も書きながら違和感もりもりだなって思うのだけれど、どこをどう直したら良いのかわからない。頭が完全に鈍感になっています。
ちなみり、『違和感もりもり』ってなに?あってる?それもわからない。(あぁだれか教えて)
昨日、30人くらいの前で、マイクを持って、自分の考えを一文だけ言わなければならない場面があったんです。
でね、私ね、席を立ってマイクをもらった途端、全身ものすごい汗をかいて、顔から火が出るんじゃないかってくらい真っ赤になって、耳なんかもう多分見える人には炎が見えてたんじゃないかってくらい身体中が熱くなって、頭は真っ白。頭の中は冷たかったな。(北極)
心の中の声は、
『みんなが私を見てる。はやく何か言わなきゃ。(いや、言わなきゃいけないことはたったの一文。しかも手元の紙に書いてるよ)』
でもなんとか最後は言葉を発しながら椅子に座り込むように終わったんですが、席についた途端、涙がボロボロポロポロでた。
明らかに異常。
みんなびっくりしただろうなー。
私もやっぱり変わってないなー。重症だな(なにが)って思ったよ。
でもね、私は、その出来事を引き受けて挑戦したのよ。
だから、それだけでも私は前進してる!
大丈夫!挑戦し続けるのみ!って自分に言ってあげたのさ。
帰宅して夫に話したら、それでいんだよって言ってもらえたので更に、挑戦して良かったと思いました。
でも、疲れた。
キャパオーバーに加えて、新しいことに挑戦した私。
今日は休みたいんだけど、息子の参観日。
生きるって大変だね。
自分と向き合うって、力が要るわ。
苦手なことから、嫌なことから逃げるのは簡単。
でもやっぱり、大変な方に向かって乗り越えた時は嬉しいでしょ。
だから私は今日も頑張りまーす。
えいえいえいえい、えいえい…えいえい、おー!(おー!までが長いけどな)
コバエに与えられた役割とは?
特に書くことはないのだけれど。
今日は何があったかな。
多分今、ちょっと疲れていて、心に余裕がない気がする。
今もし目の前に可愛い一輪の花があったとしても、私はそれに対して何か感じることができるのだろうか。
今もし誰かに、どーぞってお茶をいれてもらっても、ありがたいと思えるのだろうか。
今、そんな感じ。
あ、そうだ。
息子のスーさんが、最近面白いことを言う。
「◯◯ちゃん(幼稚園の友達)は、ミツバチとお友達!スー君は、コバエと友達!」
「今日◯◯君がコバエを棒で叩いたんだよ!(怒)コバエはスー君の友達なのに!」
って。
コバエ...コバエがよく会話に出てくるのです。
なぜコバエ。
コバエ...私、コバエってどんな役割を神様に与えられてるんだろうってずーっと思っていたけど、この言葉を聞いてからは、コバエは息子と友達になって、息子の感受性を豊かにしてくれる役割を与えられていたのだなと思うようになった。(都合の良い勝手な解釈だわ)
ちなみにスーさんは、車内に突然現れる虫たちを(クモやカメムシ)私が駐車場で外に逃すと必ず怒ります。そして半泣きになります。
「スー君のお友達をお母さんが外に出しちゃった〜」
と。
でも運転中に顔にカメムシ飛んできたら、私多分、事故を起こすと思うんだよなー。
そういうの、スーは何歳になったら理解してくれるんだろって考えるのでした。