30 years + coffee

息子の登校拒否と母子分離不安:2

前回の記事の続きです↓

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学校の先生方って、ほとんどの先生が口を揃えていうんです。「とにかく息子さんを学校に連れてきてください。学校に来ることに意味があるんです!学校に来てくれさえすればこっちでなんとかします。他の生徒と触れ合うことで気持ちも紛れるでしょう」そして、何も知らない周りの知人たちがこう言います。「学校は無理矢理でも行かせたほうがいいよ。休み癖がつくよ。その内不登校になっても怖いし」って。今の私から言わせれば、みんな無責任なことをよくもそんな簡単に言えるよなぁって思います。嫌がる子供を無理矢理学校に行かせることが本当にその子のためになるなんて、私はこれっぽっちも思わないんです。

息子は、学校に頑張って通っていた時、大好きな旅行も嫌がり、朝は布団から出られなくなり、何に対しても興味関心がなくなり、母親から全く離れられなくなりました。でも、学校を休むようになってからは、笑顔が戻ってきて、好きなことにも積極的に取り組めるようになり、母親からもずいぶんと離れられるようになりました。

社会全体の価値観が、それに適応できない少数の人間たちをひどく傷つける。今回のことを通してそう強く思いました。「みんなそういってるよ」「普通はこうだよ」という価値観の押し付け方、マジでくそ・・・くそです、はい。(すみません。でもくそです)

息子はその後、1年生が終わるまで適応指導教室という、教育委員会が運営している教室に週に2回、午前中、私と通いました。その教室に通った日は小学校に出席したことになります。教室に通う子供達の数はその地域の教室にもよるのですが、息子が通った教室は生徒が息子含めて3人だけ。しかも残りの2人の生徒さんは中学生のお姉ちゃんたちだったので、息子はお姉ちゃん達からも可愛がってもらえ、毎回行くのをとても楽しみにしていました。

親の私も、息子も、教室の先生に話を聞いてもらえたり、温かく接してもらえて、親子ともに心を休める期間になったと感じています。

適応指導教室は、あくまでも学校に行けるようになるまで心を休める場所というようなスタンスなので、新しい学年に代わる4月は通えません。先生もクラスも新しくなるから、まずは学校にいってみようということで、息子も2年生の4月からは小学校に戻ることにしました。その代わり条件が去年とはいくつか変わっています。

1つ目は、交流級(普通クラス)ではなく、少人数でクラスが構成されている支援級に通うということ。支援級は親が望めば誰でも通えるという訳ではなく、障害を証明する医師の診断書が必要になります。息子も昨年の6月に私の希望で発達検査を受けて、「自閉スペクトラム」と「注意欠陥多動症」の診断を受けました。

2つ目は、週2日の午前中のみの通学をすること。今でも学校は私が付き添わないと通えないので、親子ともに気持ちや時間に余裕のある状態が長期で通える条件だと思い、学校に相談させていただき、適応指導教室と同じ通学頻度で通っています。

3つ目は、小学校の始業時間からスタートではなく、娘を幼稚園に通常の時間帯に送った後に小学校に通うということ。小学校は8:15から朝の会が始まり、1時間目は8:40から始まりますが、幼稚園は8:30から登園できるので、娘を送り届けてから少し遅刻をする形で8:45ごろに教室に入るようにしてもらいました。

他にも細かいことを挙げると幾つも去年と変更点があるのですが、支援級の担任の先生が柔軟に対応してくださるため、親子ともに疲弊することもなく、長期で前向きに通学できるようになりました。

去年、私は先生に言われるがまま自分も動き、嫌がる息子を無理矢理動かしてきました。短距離走のように短い距離を一瞬で駆け抜けるならそれでも良かったのかもしれません。でも学校生活は少なくとも9年間は続きます。びっくりするくらいのロングランです。だからこそ、先生や学校側の言いなりでは続かないんです。我が家の状況や、子供の特性、家族の都合など、あらゆることが関わってくるんだから、それも含めてお互いにとって良いところを探していかなくてはいけないと思っています。

我が家も去年から何度も学校側、先生方、スクールカウンセラーの先生と相談してこういう形になりました。先生方はただでさえ、とっても忙しい身ですよね。だから私は自分達だけ先生方に負担や迷惑をかけてはいけないと思って先生の言われるがままに動いてきたのもあります。でもやっぱりそれは違っていたと思います。本来なら先生方と家庭ときちんと連携と取ってやっていかなきゃ、大人のやりとりで一番負担がかかるのは子供達なんですよね。息子にも私たち大人に挟まれて辛い思いをさせた場面が幾つもありました。

私は周りから自分がどう見られているのかばかり気にしていて、息子の気持ちはどうなのかということに最初は気遣ってやれませんでした。「先生が特別に対応してくださっているんだから、あなたも頑張りなさい!」こんな気持ちで息子に声がけしていたように思います。

でも、大切なのは、子供達ですよね。子供が不登校になった時、自分がどんな母親だと周りから言われようが気にせずに「子供を一番に守る。そして、我が子を信じる。」ことが本当に大切です。不登校の子ども達は、自分達が学校に行けないことを決して平気だと思っていません。口には出さないだけで、学校に行けない自分を責めていると思います。(自分のせいで家族に迷惑をかけている)って絶対に思ってます。我が子も小さいからここまで言葉に出せなくても、私に何度か「お母さんごめんね」って言ってきたことがあります。自分が学校に行けないことに追いめを感じているのに、それを家族がわかってあげられないのは本人が表現できないほどに辛いことだと思います。学校にも居場所がなくて、家の中にも、家族の中にも自分の居場所がなくなってします。だから中学生くらいになると、部屋からも出てこなくなる。(どうせ家族もわかってくれない)こんな状況になりかねない。だからこそ、家族だけは、せめてお母さんだけは、子供の味方でいなければいけない。そう思います。

でもね、お母さんもめちゃくちゃ辛い。どうしたら良いかわからない。他のお母さん達からの同情の目や言葉にも傷つくし、同じ苦しみを知っていてそれに共感してくれるお母さんも周りにはいない。ただでさえ自分で自分を責めてしまうのに、そんな母親にかける周りからの厳しい言葉もたくさんあると思います。私も周りから沢山言われました。園長先生や小学校の先生方からも沢山注意されました。「親がしっかりしていないと子供は外に出ていかないよ」という言葉も言われました。(一人帰りの車の中でわんわん泣いて帰りました)不登校の子供を持つお母さんの中には、一番理解してほしい夫にも共感してもらえず、祖父母からも学校に行かせるように責められるお母さんも沢山いるとスクールカウンセラー適応指導教室の先生方も言われていました。子供が不登校になると、こうやって母親も世間や家族から孤立して行くんです。だから、親子で共倒れしちゃう。だからこそ私は、「辛いのあなただけじゃないよ」「あなたの仲間は沢山いるから自分を追い込まないで」「あなたが悪いんじゃない」「気持ちを打ち明けてほしい」って思います。不登校の子ども達が集う場所ももっと増えてほしいし、その親御さん達が痛みを共有できる場所も増えてほしい。

私はありがたいことに家族が今は一致団結しているからとても家族に恵まれているなと思います。夫も、祖父母も義理の兄弟達も温かく見守ってくれているから本当にありがたい。平日の学校の時間に息子が外で遊んでいても、地域の人も笑顔で挨拶してくれるし、小学校に行っている登校班の子供達も、息子が「おかえりー!」って外に飛び出ると羨ましいとかずるいとかいうこともなく「ただいまー!」って一緒に遊んでくれます。周りから理解を得られるようになるには、時間や、親の勇気が必要だったりしますが、挫けて心が折れても、諦めずにコツコツ伝えていけば、必ず理解してもらえると思えるようにもなってきました。

最後に長くなりましたが、自分がここまでくるのも本当に大変で辛かったから、これを読んでくれている誰かに「大丈夫だよ」っていうのが少しでも届く文が書けれたら良いなと思います。またいろいろ書いていきますね^^